ワケが分からない

もうね、最近ワケが分からない。

何がって、全てが。何もかもが。

様々な人の様々な意見をウェブを通じて拝見させてもらっていたら、全てが正しくて、全てが誤りじゃね?と感じるようになってきた。

物凄い自己矛盾が生じているのは重々承知しているのだが、要は、どんな意見も見方によっては正しいし、見方によっては誤りでもある、ということが言いたいわけ。

世間一般的に正しいというコンセンサスを得た意見というのは、そのコンセンサスを生み出す各自の思考回路において、指針となるそれ以前に成立したコンセンサスがあるわけで、さらに、そのコンセンサスの土台となるまた別のコンセンサスがあり、さらに、そのコン(ryという途方も無いリピートを続けていくと、最終的にはそれ自体が絶対である何かに到達するはずだ。

しかし、実際には絶対的な真理なんてものは存在しない。言葉という恣意的な記号によって記述され得るという点で、どのような事象も絶対的であるはずがないのだ。また、真理というものは「なぜ?」に対する答えが存在しなくても良く、いやむしろ、そのような問いかけ自体ナンセンスであることになっているが、これは単に答えられないという事実を都合良く誤魔化しているに過ぎないのでは。

もちろん、このようなことを言い始めたら、何も議論できなくなってしまうわけで、必要最低限の何かに対して、絶対的な真理というレッテルを貼らざるを得ないわけなのだが、どれを絶対的な真理とするかに関しては十人十色であり、それ故に一つのテーマに対しても様々な意見が生じる。

しかし、絶対的な真理マガイの偽者を土台にして築き上げられた意見に対して、各々の是非を問うことなんてやはり甚だ徒労な作業であり、これでは本末転倒だ。

事の発端は、物事の思考方法として、固定観念に捕らわれず論理的に行う手法を実践する中で起きた。極力固定観念の産物を排除していったら、上述のように、いつの間にか無の空間になってしまったのだ。そして、この世界から脱出する術も無く、その純粋無垢さが汚れきった自我を崩壊させつつあるのが俺の現状。

もうね、ワケが分からない。