経済学は不完全

いきなりだが、ここで一つ質問。

今、あなたはテレビのクイズ番組に出演しているとする。何題かの問題に正解し、最後の賞金獲得のチャンスがやって来た。ドアが3つあり、どれでもいいからドアを開けるとその後ろにある賞品がもらえることになっている。1つのドアの後ろには車が置かれているが、残りの2つのドアの後ろにはヤギがいるだけだ。
あなたは、A、B、C3つのドアから見当をつけてAのドアを選んだとしよう。まだドアは開けていない。すると、どのドアの後ろに車があるのか知っている司会者は、Cのドアを開けた。もちろん、どこにはヤギがいるだけだ。ここで司会者はあなたに尋ねた。
「ドアAでいいですか?ドアBに変えてもいいですよ。どうしますか?」
さあ、あなたならどうするだろうか。Aのままでもよいし、まだ開けられていないBのドアに変更してもよい。どちらを選ぶか?

これは、マリリン・ヴォス・サバントという世界最高のIQ228の持ち主としてギネスブックにも掲載された才女が『パレート』という雑誌で担当していた「マリリンに聞いてみよう」というコラムに、ある読者から投稿されてきた質問である。答えの前に一つ言っておくと、マリリンの出した正答に対し、全米から間違っているという講義が殺到し、中には1500本もの論文を書いた伝説の数学者や、他の著名な数学者や経済学者も含まれていた程であるから、皆さんの答えが誤っていようと気にすることは全くもってない。

では、答えであるが、それは「Bを選ぶ」である。なぜなら、Aが当たる確率は1/3であり、BまたはCが当たる確率は2/3であるわけで、Cがハズレであることが分かった以上、Bが当たる確率は2/3に上がり、Aよりも当たる確率が高くなるのであるから。

先述した数学者を含め、異論を唱えた方の答えは、「Aを選ぶ」というものだった。つまり、Cがハズレであることが分かった後では、Aが当たる確率とBが当たる確率はともに1/2となるのだから、選択をBに変える意味は無いと考えたのだ。え、これじゃダメなの?と、いま一つピンと来ない方は、マリリンの解答を見るとピンと来るかもしれない。

次のように考えるとわかりやすいでしょう。たとえば、100万のドアがあったとします。あなたは、その中から1番のドアを選びました。司会者はドアの後ろになにがあるか知っていて、賞品の入っているドアはあけません。司会者は77万7777番のドアをのぞいて、残りのすべてのドアを開けました。あなただったら、すぐに77万7777番に変えるでしょう?

数学的な説明が欲しいとなるとベイズの定理というものを利用することになるが、ココで詳しい説明がなされているので、そちらを参照していただくとして、ここでは割愛。

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いきなり本の紹介で、一体何だ!?と思ったかもしれないが、こんな質問から始まるのがこの本書。そして、この質問から何が言いたいのかというと、人は確率の理解が苦手ということ。

で、終わりなわけはもちろん無く、標準的経済学が前提としている人間像である経済人(ホモ・エコノミカス)が超合理的に行動し、自己利益だけを追求するのにも関わらず、大抵の人はそんなことしてないじゃんという皮肉が込められているのだ。つまり、標準的経済学は不完全だよってこと。もちろん、この問いからだけでは、全ての人が利己主義であることを前提とする標準的経済学へのアンチテーゼは読み取れないが、本書にはこれ以外にも数多くの問いが掲載されており、標準的経済学の不完全性が感覚的に理解できるようになっている。んー、よし。オマケで全ての人が利己主義ではないことが感覚的に分かる質問も掲載しておくと、

あなたは1000円渡され、見知らぬ誰かと分けるようにと言われた。自分の分として全額手元に置いてもよいし、一部を自分で取り、残りを相手に渡してもよい。ただし、相手には拒否権があり、相手がその額を受諾したらあなたの提案どおりに分配されるが、相手がそれを拒否したら二人とも一銭も貰えないものとする。あなたはいくら渡すと提案するだろうか。

では答え、といっても実は確たる答えというものが無いのだが、双方とも合理的で利己的な経済人であるという条件が付されるならば、答えは1円である。相手が経済人である以上、いくらも貰えないよりかは1円以上貰えたほうがよいので、1円以上渡すという提案ならば受諾するからだ。しかし、このような質問を実験として行った結果、大半の人は相手に30〜50%渡すというデータがあるそうで、あなたの答えもこれに当てはまっているのではないだろうか。赤の他人であろうと、そう利己的にはなれないものである。

このように標準的経済学は不完全であり、それを補完すべくして現れたのが行動経済学である。本書の真の目的は行動経済学についての土台を読者に築かせることであり、それについても書こうと思ったのだが、長くなったので、そしてメンドくなったので、それはまた次回ということで。